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RabbitHome作品 小説&ネタ公開・推敲ブログ(ネタバレ有)
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深い深い森の奥で、私達は完全に迷子だった。
どこまで行っても人の居る気配なんかなくて、当然道もない。
延々と同じ木々が生い茂るばかりの森の中では、自分達がまっすぐ歩いているのかすら分からなくなりそうで。
私達の左手、鬱蒼と茂る葉の隙間からのぞくかすかな夕陽だけが、辛うじて方角を教えてくれていた。

時折耳に届く獣の遠吠えのような音に、草を踏み分ける足は自然と速まる。
それでなくとも、そろそろ寒さが厳しくなってくる時期だし。
とにかく、日が完全に沈む前に安全な場所を探さないと。

そう思ったとき、かすかに燈る明かりが視界に飛び込んできた。

「リース!リース見て!あそこにお城がある!」

私が後ろを向いて呼びかけると、リースは俯いていた顔を持ち上げた。
可哀想に。
こんなに歩いたのは初めてだろう彼女の、鮮やかだった金の髪はすっかりくすんでしまって汗で額に張り付いている。

「もう少しよ、リース。あのお城の人に頼めば、雨宿りぐらいさせてくれるかもしれない」

手をとって励ますと、彼女は気丈にも少し笑って頷いた。

目標ができると、なんとなく足が軽くなる気がする。
そうやって、私達はなんとかその古城の前に辿り着いた。

人里離れた森の奥に、これ見よがしに佇む優美な古城。
白い石が積み上げられて作られた城壁は、薄暗い闇のなかでも微かな光に輝くように、浮かび上がって見えた。
王侯貴族のそれのように華美な装飾はないけれど、ところどころに彫られたレリーフは、その城の主が決して身分の低い者ではないことを表している。
城の四方には、それぞれ城を支えるようにして大きな塔が立っていて、並ぶように鋭く細い塔が連なる様は洗練されていて美しい。

だけど、どうしてだろう。なんだか違和感を覚えるのは。
こんなに美しい城なのに、城塞のような硬いイメージも感じさせるのだ。

少し気味が悪いと感じているせいかもしれない。

だけど・・・そう、リースだけじゃなくて私も酷く疲れていたのだと思う。
それでなくても、ここのところ色々なことがありすぎて、考える気力もなくなっていたから。
だから突然現れた古城に大した警戒もせず、私達はすんなり足を踏み入れてしまったんだ。



+++++++++++++++++++



小さな窓から漏れてくる灯りの他には、城の周囲にも中にも人の気配が全く見られない。

私は薔薇のレリーフが施されたノッカーを叩いて呼びかけた。
重く堅牢な扉が音も無く内側へスッと開く。だけど、迎え入れてくれる人の姿はどこにも見えなくて、私とリースは思わず顔を見合わせた。

リースの片手は胸元に添えられて、服の下に彼女がいつもつけているクロスのペンダントを握っていた。不安なとき、リースはいつもそうしている。
私はリースの空いている方の手をしっかりと握りしめた。

扉は開かれたまま。
中を覗くと、仄かに灯りが燈った玄関ホールが見える。

灯りが燈っているってことは、誰かが居るのは確かだと思うのだけど。

いかにも、罠って感じじゃない。
さすがに、足は簡単には進まなかった。

まさか中に入った瞬間に二人とも食べられちゃうってことはないわよね。
そう思うと、床に敷かれた赤い絨毯が、何かの生き物の舌のようにも見えて背筋が震える。

だけど、こうして外に居たって危険なのにはかわりないんだ。
証拠に、さっきはずっと遠くに聞こえていた遠吠えが、随分と近くで聞こえている。
繋いだ手に少しだけ力をこめて、私達は恐る恐る中へと足を踏み入れた。

赤い絨毯はとてもふわふわとしていて、足音は簡単に吸い込まれてしまう。
おかげで、周囲はずっと静けさに包まれたまま。

「あの、すみません、どなたかいらっしゃいますか・・・?」

私の発した声は、少しだけ反響して消えた。
返事の声は聞こえない。

私達は、お互いに背を庇うようにしながらぐるりと周囲を見回した。

緩やかに円を描いて、大きく吹き抜けになった玄関ホール。
真正面に一つ大きな扉があるのが見えたが、こちらは硬く閉ざされているようだ。

左右には円筒の壁に沿うようにして階段が上へと続き、玄関の真正面で交わっている。
そこは、玄関ホールを見下ろすように大きく迫り出した踊り場になっていて、木の欄干は誰も触ったことが無いのかと疑うほどに念入りに磨かれていた。
欄干だけじゃない。
絨毯も、階段も、高い天井から吊るされた豪華なシャンデリアも、どこにもかしこも。蜘蛛の巣どころか塵一つ見当たらないほど綺麗に掃除されている。人が居ない城ならば、こんなに綺麗に掃除されていることはないだろう。

だけど、周囲に人影は全くない。
私達のほかに動くものは、シャンデリアに燈された火だけ。

「あのっ・・・!」

何だか嫌な感じがして、私はもう一度呼びかけようと口を開いた。

「へぇ?誰だろう、人がいるね」

突然、場違いに明るい声が響いて、私達は手を握ったまま飛び上がった。
声のしたほうを見上げると、いつ現れたのか踊り場に人影がある。

「君達誰?どこからきたの?」

欄干に肘をつくようにして、人懐っこく笑いながら話し掛けてきたのは、ひょろっと背の高い男の子だった。
年の頃は私達と同じか少し上ぐらい。
リースよりも日に焼けて赤くなった、少し癖のある金髪に大きな赤い瞳。
白地に半分が黒の水玉、半分が黒のストライプという変わったシャツを着ている。

とりあえず、出てきたのが人型をしていたことに、私は安堵の息を吐いた。

と、思った次の瞬間。

彼が欄干をひょいと乗り越えて、宙に身を躍らせたものだから。
私は吐いたばかりの息を再び飲み込む羽目になった。



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この大きなホールの踊り場は、私達が良く知る家の2階以上の高さがある。
そこから飛び降りて無事でいられるとは思えない。

じゃらじゃらと鎖が擦れる音。
そして何か硬いものがどすんと床に叩きつけられる音が低く響いた。

リースが小さく悲鳴をあげる。
私も悲鳴こそあげなかったものの、驚きで固まっていた。

だけど、痛そうな音がしたのに反して、彼の着地は軽やかだった。
長い足は柔軟に屈伸して衝撃を吸収し、何事もなかったかのように伸び上がる。

当の本人も、飄々とした態度で私達の前に立っていた。
そして驚いた顔を向けている私達に向かって、首を傾げてにっこりと微笑む。

彼が腕を腰に当てたとき、再びじゃらりと鎖の音がした。
先ほどの音の正体。
鎖のついた手錠が彼の右手首に嵌められていた。
鎖は彼が手を降ろした状態で、ぎりぎり床につかない程度の長さ。

床に叩きつけられたのはこの鎖の方だったんだろう。
だけどふわふわの絨毯でも吸収しきれないほどの衝撃だったんだ・・・それって相当重い鎖だってことなんじゃ・・・。

そう考えていた間に、彼は私達の近くまで歩み寄ってきていた。

近くで見ると、彼の顔を斜めによぎる大きな傷が目に付いてドキリとした。
まるで千切れた人形を子供が縫い合わせたみたいに、酷く縫い目の目立つ大きな傷。
襟が大きく開いていたので、胸元にも同じような傷があるのが見える。

背が高い彼は、私達の背の高さにあわせて屈みこむと、再び同じ質問を繰り返した。

「ねぇ、君達誰?」

「あ・・・」

少しばかり気圧されながら、私が口を開こうとしたところで、また別の声が階上から響いた。

「どうした、フェイズ?何かあったのか?」

フェイズと呼ばれた彼は、身体を起こして踊り場を見上げた。

「アレックス、人が来たよ。君の知り合い?」
「人?」

さらに踊り場から現れた男の人を見て、私は不覚にもドキッとしてしまった。
繋いだ手が震えたから、リースも同じだったんだろう。

そう、なんていうか・・・全体的に、すごく格好良い人、だったんだ。

年は多分20代後半か、30代前半ってところ。
漆黒の髪は丁寧に後ろに撫で付けられている。
切れ長の瞳は金色で、視線はこちらを向いていた。

「へぇ?俺の知り合いにはこんな可愛らしいお嬢さん方はいなかったはずだが?」

唇の端をそっと持ち上げて、彼は薄く笑った。
そんな一つ一つの動作がとても決まっている。
うぅ、こんな格好よい人、村じゃみたことない。

彼はゆっくりと身を翻すと、階段に足をかけた。

一段、一段と、階段を降りてくるその姿は見惚れてしまうほど優雅。

身体のラインにぴったりとあった、いかにも上等そうな黒のスーツを嫌味なく着こなして。
その上に羽織っている黒いマントは、彼が長い足を伸ばすたびに赤い裏地を覗かせる。

容姿も、物腰も。
このアレックスという人は、いかにも城の主に相応しいと思える人だった。

彼は私達の傍まで歩いてくると、フェイズと呼んだ男の子の隣に並んだ。
そして、改めて私達に視線を向ける。

私は唐突に自分の姿を思い出して、恥ずかしさで頬が熱くなった。
彼の格好に対して、今の私達は俯きたくなるほどみすぼらしい格好だ。

ただでさえ、何の飾り気も無い粗末な服。
それが、何日にもよる旅でさらに汚れて所々擦り切れている。

走って逃げ出したい気分。
ふと振り返ってみると、玄関扉はすでに閉ざされていた。

「珍しいこともあるもんだな。こんな辺鄙な城、男の旅人だって殆ど寄り付かないんだが」

彼がマントを肩越しに払いながら言った。
吐き出す言葉のトーンまで、彼のは甘くて上品だ。

リースが私の手をぎゅっと握る。反対の手は、未だクロスのペンダントに添えられたまま。そう、恥ずかしがってる場合じゃない。私はようやく、ここに来た目的を口にした。

「あの、ご迷惑になるってわかってるんです。だけど私達、道に迷ってしまって」

形の良い眉が、少しだけ持ち上がる。

「台所の床でも、納屋でもいいんです。泊めて、頂けませんか?お願いします!」
「お願いします」

二人で頭を下げる。
男の子の方は何を考えているのかわからない。ただ、面白そうにこちらを見つめている。
金の双眸が、もう一度。私達を順番に見つめた。

見定めるような鋭い瞳に、私達は思わず一歩後退さる。
白い手袋の嵌められた手が口許を抑えて、唇をすっとなぞった。

「まさか、こんな可愛らしいお嬢さん達に野宿しろなんて言える訳ないしな」

私とリースは顔を見合わせる。

「歓迎するよ。納屋なんて言わず、ちゃんと部屋を用意するからゆっくりするといい。何せいくらだって部屋は余ってるからな」
「あ、有難うございます!!」

深深と頭を下げてお礼を言った私達。
頭の後ろで、彼らがどんな表情をしていたかなんて知る由も無い。

「こいつと二人の味気ない食事にもウンザリしてたところなんだ。よかったら、晩餐も一緒して貰えると嬉しいんだが」

ほとんど着の身着のままで村を出てきたしている私達。
食事なんて、ほとんどまともにしていない。
だからそれは願ってもない申し出だ。断る理由はどこにも無かった。

そうして私は、今夜の宿が確保できたことですっかり気を緩めてしまって。
彼らが何者かなんてことにまでは、これっぽっちも考えが及ばなかった。



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私達は歩きながら名前を紹介した。
それによると、金髪の男の子の方が ムーンフェイズ・ワックス で通称フェイズ。
黒髪の美形の方がアレキサンド・ライト で通称がアレックス らしい。
勿論、この古城の主はアレックスの方だ。

「灯りのついている道を歩けば、迷う心配はないはずだ」

説明しながら、アレックスが城の中を先導する。
城は大きくて廊下も沢山あるけれど、燭台の蝋燭に炎が燈っているのは一部の廊下だけのようだった。

「僕等より炎の方が信用できるよ」

一番後ろを歩いていたフェイズが軽くそう付け足す。
それって彼らも道を覚えていないってこと・・・?冗談だとは思うけど。

私はこのとき、外からこの城を見たときに感じた違和感の正体に思い当たった。とても優美なのに、城塞のようにも見えたあのイメージ。
そうだ、この城の窓はとても小さいんだ。

南側の廊下ですら、人一人がやっと通れる程度の窓しかない。しかもそれですら、感覚が空いていて数は少ない。今はもう夜だから、どちらにしろ暗いけれど。これでは朝になったって薄暗さにはあまり変化がないような感じだ。
そのかわりなのか、壁にはずらりと燭台が並んで、ゆらゆらと揺れる炎が廊下を照らし出している。

そして廊下には、動物を象った石像が間をあけていくつか並んでいた。
鷹に、梟・・・と翼を広げた雄々しい姿の猛禽類の石像が続く。
・・・かと思えば・・・い、イルカ??
先ほどまでの石像に比べて、とても愛らしい顔を水しぶきの間から覗かせている。
次は熊。うーん、この石像って一体どういう基準で並んでるんだろう。

足音は、廊下でも分厚い絨毯に吸収されて全く聞こえない。
誰も喋らないときに聞こえるのは、フェイズの手錠についた鎖が発する、じゃらじゃらとした音だけだった。

「このお城に住んでいるのって、お二人だけなんですか?」

リースが丁寧に尋ねると、アレックスが笑った。

「まさか。俺たちだけじゃこんなに広い城を掃除できるわけがない」

大げさに手を広げて指し示された周囲は、やっぱり塵一つ見当らない。

玄関ホールもそうだったけれど。
このお城、どこもかしこもすごく丁寧に掃除されている。それこそランプの裏まで。

薄暗い廊下でも、気味が悪いとか、嫌な感じがあまりしないのは、この清潔感のおかげなんだろう。とても大きなお城だし、一人や二人で掃除しきれるとも思えないから、きっと沢山の使用人の人たちが居るはず。
私の思考に答えるようにフェイズがのんびりと言った。

「たくさん、いるよね。僕らのほかにも」
「俺たち以外の皆は恥ずかしがりやだからな。そうそう人前には姿を見せないのさ」

アレックスの言葉に、何故かフェイズがクスクスと笑っている。
一つの燭代の影がゆらりと大きく揺れた。

そんな話を交わしている間に、目的地についたようだ。
アレックスが、ある部屋の扉の前で立ち止まった。

玄関から2階分階段を昇り、南側の廊下を真っ直ぐに行った突き当たり。
きっと、城の最南東にある塔だろう。
迷うような道筋でもないし、これだったら私達だけでも十分玄関ホールまで帰れる。

「部屋にあるものは好きに使っていい。ここなら、入り用な物は大体揃っているはずだ。何か足りなかったら、そこら辺に居る奴を適当に捕まえて聞いてくれ。・・・まぁ、まだ姿を見せないかもしれないが・・・」

最後の言葉を言いながら、アレックスは微苦笑した。
沢山いる筈の使用人の皆が皆、そんなに恥ずかしがりやだって言うのだろうか。

「その場合は、ここからじゃちょっと遠いが北西の塔までくるといい。俺たちはそこに居る」

彼が扉を開いて、私達を中に招き入れた。

広い部屋にベットと鏡台、そしてクローゼットが二つずつ。
この部屋の窓は、今まで見たものの中では一番大きかった。
部屋の暖炉では、既に赤々と炎が燃えている。

納屋でもいいからと思っていた私達にとって、この部屋は豪華すぎた。

「こ、こんな・・・」

思わず動揺してよろけたところを、後ろからふわりとアレックスに支えられる。

「大丈夫、歓迎するって言っただろ」

後ろから囁かれて、今度は別の意味で動揺してしまう。
私の動揺は伝わっていたと思う。軽く肩を叩かれて、身体が離れた。
なんだか、くすりと笑われたような気もする。
揶揄われたんだろうか。

「一時間半ぐらいで晩餐の準備もできるだろう。その頃また迎えに来る」

言い置いて、彼らは部屋を出て行った。



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頬を叩いて動揺を静めてから、私は念の為にと戸を開いた。
鍵はかけられていない。
正面に続く廊下には、もう人影は見えない。
もう一度、ゆっくりと戸を閉めて、内から鍵をかけた。

「いい人たちね」

リースがぽつんと言った。
彼女の手は、もう胸元にはおかれていない。
私はなんだかほっとして、微笑みを返した。

「リースに言わせたら、誰だっていい人になっちゃうけれどね」
「あら、そんなことないわ」
「そんなことあるの」

笑って返しながら、私はリースの近くに立つ。
泥で汚れてしまった顔、ボロボロの服。
長い髪はところどころでもつれて絡まっている。
手を取ると、擦り傷があるのが目に入った。

「リース、怪我したの」
「え、うん、ちょっと擦っただけなの。もう痛くもないし気にしないで」

笑うリースをみて、私はなんだか堪らない気分になった。

この城に辿り着くまでの道程を思い出す。
そしてこれからの道程を考える。

あぁ、どうしてこんなことになってしまったんだろう。
今日は運良く安全な場所で寝られるけれど。
この先はそうもいかないだろう。

私がリースをしっかり守ってあげないと。
そして、村の皆も・・・・。

「どうしたの・・・?大丈夫?」

私が突然黙ってしまったから、リースは不安そうに尋ねてきた。
慌てて笑顔で首をふって、話題を逸らす。

「な、なんでもない。ねぇ、それにしても素敵な部屋よね」
「本当、いいのかしらこんなに豪華な部屋で」

リースは頷いて周囲を見回した。

この部屋は、全体的に落ち着いた青で纏められている。
ふかふかの絨毯。
レースのカーテンのついた天蓋つきベッド
縁に細かな装飾の施された鏡台。
大きなクローゼット。
そして、それらを並べてもまだ有り余る空間。

自慢じゃないけれど、それほど裕福じゃない村で育った私達にしてみれば、この部屋だけでも十分に豪邸だ。

さらに私は、何気なくクローゼットを開いて驚きの声をあげてしまった。
中にぎっしりと、服が詰め込まれていたからだ。
リースも、もう一つのクローゼットを開いて歓声をあげた。

それこそ、私たちでは一生着る機会なんてないだろうと思っていた鮮やかで豪華なドレス。
今の汚れた手では触れるのも憚られるほど。

でも、どうしてこんなにドレスがあるのだろう。
まさか、彼らの趣味ってわけじゃないと・・・思うけど。

ちょっと背筋が寒くなる想像に、私は軽く首をふる。
そのとき、ふと今まで気が付かなかったドアがもう一つ部屋についているのが視界に入った。
近寄ってそっと扉をあけると、湯気と熱気と薔薇の香りが部屋に広がる。

「えっと・・・・・・お風呂?」

正直なところ、これは本当に嬉しかった。
湯船に薔薇の花びらなんかが浮いているところは、ちょっと私の趣味とはあわないけれど。リースは手を叩いて喜んでいる。

二人で汚れた体を流してさっぱりしたところで、改めてクローゼットを開いてみた。
そしていくつか服を引っ張り出してあわせてみる。
不思議なことにどの服も、誂えたように私達の体にぴったりだった。

これって偶然なの?

疲労と困憊でまともに働くなっていた思考も、幾分さっぱりしたせいか、少しずつ仕事を再開し始める。

「・・・さすがに不安になるわよね・・・」

さすがに豪華なドレスは気後れしてしまって手が出せないから。
中でも一番シンプルで飾り気の少ない服を取り出して袖を通しながら、私は呟いた。

「どうして?」

リースも胸元にリボンがついただけのシンプルな白いシャツを選んだらしい。
シンプルといったって、まず生地の手触りが違うから、上等なものには違いないのだけど。

「だって、いくらなんでも準備が良すぎると思うのよ」

突然現れた私達を迎え入れたにしては。

炎が燃えていた暖炉。
お湯のはった湯船。
そして、私達の体にぴったりの服。

「・・・そうね」

リースも首を傾げた。

どうしよう、これってやっぱり何かの罠なのかしら。
鏡台の前に座ったリースの髪を梳かしてあげながら、私は逃げるべきか否かを考える。

「あの人達、人を騙すようには見えなかったけど・・・」

お風呂入っている間、鏡台の上に置いていたクロスのペンダントを再び胸元に戻しながら、リースは呟いた。

「リース、美形だからって簡単に信じちゃだめよ」
「もうっ、そんなんじゃないったら」

彼女は、自分がつけたものと同じ形のペンダントを鏡台の上からとって私の首にかけながら言う。

「大丈夫、神様はちゃんと見守っていて下さるわ」

私は自分の胸元のクロスに視線を落とした。
それはリースとお揃いの私のクロス。
私はリースと違って神様なんて信じていないから、このクロスにお願いをしたことなんてないけれど。それでも一応、ちゃんとずっとつけている。信じていようが信じていまいが、これは、私とリースの大切なものだから。
私がクロスをそっと服の下にしまったところで、部屋の戸をノックする音が聞こえた。

「準備できた?」

戸を開くと、フェイズが一人で立っていた。

彼もどうやら正装をしてきたらしい。
先ほどは無造作に垂れていた前髪はキチンと後ろに流されている。
着ているシャツは先ほどと変わらないようだが、上には紺のジャケットを着て、赤いタイを締めている。

それでも、右手首にはやっぱり鎖のついた手錠が嵌っていてなんだか不自然だった。

そして前髪を上げたことで顔の傷が良く見えて。いけないことだとは思いつつも、視線はそれを辿ってしまった。右の額から鼻頭を通って左頬の下まで。一直線に過ぎる大きな傷。随分と昔の傷のようだけど、それはとても痛々しかった。

顔を見つめていた私の視線を捉えて、フェイズはにっこりと笑った。

「うん、二人ともその服が良く似合ってる。可愛いね」

めいっぱい微笑んでそんなことを言うから。
言われ慣れていない私達は思わず赤くなってしまった。アレックスと一緒にいると目立たなかったけれど、彼も十分に格好良いんだ。
アレックスが大人な魅力を振り撒く美形ならば、フェイズは爽やかで無邪気な少年の魅力っていうか・・・。
あれ、私ってば何考えてるんだろう。

「じゃあ、行こうか」

フェイズに促されて、私達は廊下に出る。

美形だからって簡単に信じてしまっているのは、もしかしなくても私の方なんだろうか。
こんな状況に置かれてもどこか暢気な自分の思考に、私は酷く反省した。



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私達が玄関から部屋まで来るときに通ってきた廊下は、イルカの石像のところで燭代の炎が消えていた。この次には梟の石像があったはずだが、先の廊下は真っ暗で全く見えない。
変わりに、私達の通ったことのない交差した廊下の方に灯りが燈っている。

フェイズが足をとめて、灯りの燈っているほうの廊下に顔を向けた。
つられてそちらを見ると、悠然と歩いてくるアレックスの姿が見えた。
黒のスーツに黒のマント。
彼の衣装は先ほどと変わりないようだ。

「準備はできたようだな」

彼は、私達の方を見て微笑んだ。

「おや、その服にしたんだな。もっと華やかな服もあったような気がしたが・・・。まぁ、可愛らしいお嬢さん達だから、それ以上飾る必要なんてないか。なんにせよ、サイズはぴったりだったようでよかった」
「そういえば、どうしてこの服・・・」

私が抱いていた疑問を口にしようとすると、アレックスはそれを片手で遮った。

「おっと、無粋な質問は後にしようか。まずは晩餐だからな」

軽くウィンクで返されて、何も言えなくなってしまう。
彼は傍らに立っていたフェイズの方を振り返った。

「さて、揃ったところで、行くとするか」

アレックスが言い終わるか言い終わらないかのうちに、突然、廊下の灯りが一斉に消えた。
そして今度は、私達の正面の廊下に灯りが一斉に燈る。遠くに、梟の石像が見えた。

「え・・・!?」

私の背筋に、ざわりと悪寒が走る。背後は真っ暗だ。
燈ったばかりの炎は、風もないのにゆらゆらと大きく揺れている。

なんだか、雰囲気がおかしい。

アレックスは特に驚いた様子もなく、私達を振り返って微笑みを浮かべた。
背後からの灯りのせいで、彫りの深い顔には濃い影ができている。
表情は先ほどまでと変わらないはずなのに。
纏っている空気がずっと冷たいように感じられる。

「さぁ、いこうか」

アレックスが微笑んだまま手を差し伸べてきて、私は思わず一歩さがった。

ちょっと!薄く開いた唇の隙間から覗く小さな白いもの・・・あれって牙じゃない・・・!?
私の背後で、リースが微かに身動ぎした。多分、胸元のクロスを握ったんだと思う。

「どうした?」

彼がこちらに足を一歩踏み出す。
その背後ではフェイズが石像に寄りかかって薄く微笑んでいる。
その微笑みも、どこか不敵で気味が悪い。

どうしよう。
出口に向かうには、彼ら二人の間をすり抜けていく必要がある。
私の額を一筋の汗がつたった。

だけど。

ふと見ると、目の前に差し出された手が微かに震えている。
見上げるとアレックスは顔を背けて、肩を震わせていた。

「え?」

事態の飲み込めていない私達を他所に、フェイズが呆れた声をあげる。

「あーあ。駄目じゃないかアレックス。最後まで役に徹してくれないと」

アレックスは肩を震わせながら、片手をひらひらと振った。

「いやいや、逐一反応が可愛らしいお嬢さん方だ。どうにもこうにも、これ以上怖がらせるのも忍びなくて」

彼の喉の奥からはくつくつ と笑い声が漏れている。

「なかなか真に迫ってたよね」
「まぁ、本物だしな」

フェイズが暢気に言えば、アレックスが声を震わせながら答える。
その様子をぽかんと見つめる私達に、フェイズが屈託のない笑顔を向けた。

「怖かった?」

何これ・・・

ここにきて、私もようやく理解した。

もしかしなくてもこの人達・・・私達をからかってたってこと!?
もう、かなり、趣味が悪い!

私が抗議の声を上げようとすると、二人が突然笑いをとめた。
先ほどとは違う、緊張した空気が二人の間に流れる。

「アレックス」
「あぁ」

アレックスは大きくため息をついた。

「まったく、あいつも毎晩毎晩懲りないな。こっちの都合も考えて欲しいもんだが」

毀れた前髪をかきあげながら、心底迷惑そうに呟く。

完全に話題が見えない。
私は、先ほど抗議するタイミングまで逃したせいで口を開きかけたまま止まっていたが、再び我に返ってアレックスに詰め寄った。

「ちょっと、一体何がどうなってるの!?どこまでが本気でどこまでが冗だ・・・」

私が言い終わらない内に、すぐ近くで獣の遠吠えが響いた。
背後の廊下の灯りが一斉に燈る。
驚いて振り返ると、同じように驚いた表情のリースの脇の窓に大きな影が映っているのが見えた。

ピシリと嫌な音をたてて窓に亀裂が入る。

私の横を何かがすっと通り抜けてリースに向かった。
私の身体は反対に、抱きかかえられて後ろに跳んだ。

その間の私の瞳が捉えていたのは、立ち竦むリースに容赦なく降り注ぐ、割れた窓の破片。

「リースっ!!」

他の音は一切聞こえなくなって、自分の悲鳴だけがやたらと頭に反響していた。



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